プロフィール

浦川 卓也
Takuya Urakawa

主にギタリストとして、多方面で活動中。

5/11生まれ。A型。
タバコ:吸わない
好きな焼酎:三岳


エレクトリックもアコースティックも得意で、音楽性も幅広く多種多様。
独特なコードワークと編曲には定評がある。

福岡Drum Be-1周辺で、なにかと便利に重宝がられる売れっ子ギタリスト的存在であり、 常に複数のプロジェクトを抱えている。そのため、年間60本以上のライブをこなす。

現在は「L.E.A.P.(ex.minicar-size)」「部屋(仲西将太)」等を中心に活動中。

その他、ギターの修理・改造やレコーディングやコンサートの音響オペレーター等、幅広く活動中。

※生い立ちなど
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幼少の頃はひたすらアニメソングを聴いていた。初めて買ったレコードは「闘将ダイモス」。
4歳だか5歳だかで親にエレクトーン(のちにオルガン)教室に通わされるが、周りが女の子ばっかりだったので面白くなくなってやめる。 「続けていれば…」と今でも思う。
当時、家では兄貴達がいつも聞いていたラジオのアメリカントップ30を、言葉わからなくてもいつの間にか口ずさんでいる少年だった。後にそれはビリージョエルやノーランズだったことが判明。

12歳の時、「笑っていいとも」出演のデーモン小暮閣下を見て深い感銘を受け、「蝋人形の館」のシングル購入。ロックの洗礼を受ける。当時のフェイバリットは当然、聖飢魔II。

14歳の時、ゴミ捨て場に捨ててあったクラシックギターを拾ってきたのがキッカケでギターを始める。
が、そのギターは弦が切れていて、1本しか残っていなかったため単音でメロディだけを弾いていた。 しばらくして、それを見かねた兄が自分から昔弾いていたクラシックギターとギター入門書的なフォークソングの歌本をくれた。
当時のフェイバリットはさだまさし。

15歳の時、友人に誘われてブルーハーツのコピーバンドに参加。もちろんギターがやりたかったのだが、言葉巧みにベースを買わされる(笑)
しかし、そのバンドは数回スタジオ練習に入っただけの幻のバンドになった。
当時 のフェイバリットはブルーハーツ、ジュンスカ、ユニコーン。

しかし、これがキッカケでベースの面白さを知り、宅録まっしぐら。翌年には念願のエレクトリックギター、リズムマシン、4トラックMTRを購入し、楽曲制作にどっぷりハマる。徐々に洋楽思考に。
当時のフェイバリットはAEROSMITH 、EXTREME、10cc…
同時にギターのデザインやメカニズムに興味を持ち、高校生の時は全く勉強せず毎日ノートにギターの落書きばっかしてた。

高校3年生の時、文化祭にGUNS'N'ROSESとAEROSMITHのコピーバンドで出演。ステージデビューがいきなり観客1000人だった(笑)
その後、ユニコーンのコピーバンドで他校の卒業ライブにも出演。
それも観客1000人(笑)

高校卒業後、ギター職人を志して上京。楽器制作を学ぶ。
音楽好きが集まっているところなので、更にどっぷりと音楽にハマっていく。アルバイトでCDショップの店員も経験。この時期から、宅録に「歌」が入りだす。

専門学校を卒業後、九州に戻り楽器店に勤務。主任として、販売や仕入れをしながら楽器全般の修理を6年程経験。同時に音楽スタジオの管理や機材のレンタル、コンサートのPAやイベントの企画等も経験したため「音の出るもの」全般に対して知識を深めていった。

その間にも音楽活動を続け、複数のバンド、ユニットに参加。
ギターウルフ、DMBQ、遠藤ミチロウ、ナンバーガールといった数々のビッグネームと共演し、テレビ局主催の作曲コンテストにも入賞。

その後、福岡で絶大な人気を誇ったバンド「造天寺」を結成。
その斬新なサウンドが話題を呼び、KBCラジオのランキング番組「カットラ!」ではインディーズながら1位を獲得。4枚の音源を発表。2枚のオムニバスに 参加。積極的に全国ツアーもこなし、東京では人間椅子、ガーゴイルといったビッグネームとも共演。
地元福岡Be−1で2度のワンマンライブを成功させる(動員約100名)も、2005年、活動休止。

2006年、小車 祥と共に、以前はイベント用の限定ユニットとして活動していた「minicar-size(現 L.E.A.P.)」を本格始動させる。
L.E.A.P.(ex.minicar-size)の全ての曲の編曲など音楽的なイニシアティブをとる、プロデューサー的存在。
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